こんにちは、きっかけブログです。
今回は「視座の高さ」というテーマです。
というのも先日、【搾取する側とされる側】というブログを
書いた際にこのようなコメントをいただきました。
「サラリーマン、営業マンとしての考え方ではなく、経営者視点でのブログも
今後期待しています。」
このように期待されている反面、
自分が書いた内容は非常に視座が低かったな、と反省しました。
そのため、今回はその「視座」についてのお話です。
視座=なりたい自分
現在、私は営業マンとして仕事をしているので
周りの社員を見て「この人視座高いな」と思うこともあれば
「この人先輩なのに視座低すぎだろ」と思うことが多々あります。
そんな中で、個人的には、自分は高く視座を保っている「つもり」ではあるのですが、
実際はまだまだだと痛感させられることが多々あります。
例えばそれを身近で強く実感するのは、
グループマネージャやチームリーダーとお話をする時です。
例えば、自分が目標達成しているとき、
普段、同僚や視座の低い先輩と話すときは
「もう目標達成しているから何もしなくていいねー」などの会話がなされます。
一方、グループマネージャーやチームリーダーと話をすると
達成したのは事実として置いといて、「じゃあ次どうするか?」という話になります。
全国MVPを狙う、チームやグループ、のために売上を持ってくると言うことです。
前者は個人的な目標にしか意識していないのに対し、
後者は会社全体のことに意識を向けているのです。
今の体制で言うと正直、個人の目標を達成したら
それ以上どれだけ積もうが給料はほとんど変わりません。
それでいて、1ヶ月したらまた結果がまっさらになり一から積んでいく
と言うふうになるので、目標達成をした月は見込みネタがあれば
次号に持ちこそう!と言う気持ちになるのは非常によくわかります。
そんなとき、どんな決断をするのかが「視座の高さ」によって変わるのかなと。
そのため、視座の高さとは「なりたい自分の高さ」
と比例しているなと言うのが自分の持論です。
なりたい自分がどんななのか、具体的にイメージできている人は
目の前の結果や評価ではなく、その過程が「なりたい自分」
に繋がっているのかどうかということです。
そのため、ただ「視座をあげるために○○しよう」「行動から変えよう」
などしても根本解決にはならないのかなと思います。
「なりたい自分」がなんなのか、それをまず見つけないことには
本当の意味での「視座」は変わらず、行動も中々変えられないのかなと。
今日のきっかけ
「まずは行動を変えることが大事!」と言うことを
よく聞きますが、それは既になりたいイメージが定まっている人に限ります。
そのため前提としてまず自分はどんな風になりたいのかを
自己分析することが始めの一歩なのかなと思います。
そのための手段の一つが「なりたくない自分」を見つける。
なりたいイメージを考えても中々思い浮かばないですが
周りの人を見ていて
「こんな風にはなりたくない!」
と言うような人はよくいると思います。
そういう人を反面教師にしてそこから逆算する。
それがなりたい自分になるための大きな一歩かなと!
今日も1日頑張りましょう!
コメント
今回の内容は非常に腹落ちがよかったです