こんにちは、きっかけブログです。
今回のテーマにある通り、実は私、ニワトリなんです。
ニワトリのように3歩歩くと忘れてしまう、
そんな欠陥を私は抱えてしまっています。
今回はそんな私の欠陥についての考えを述べさせていただきます。
欠点と向き合う
例えば仕事。
「よし、Aをこれやろう!」と思いパソコンを立ち上げて
2秒後に「あ、Bのことは、、、」などと考え始めてしまうことがあります。
クライアント先でヒアリングをしている際に
相手を気持ちよく話させることに集中するばっかりに
口が勝手に動いてしまいます。
そして、感情的にはプラスになり商談に進めるものの、
ヒアリングが終わった直後には内容は何も覚えていません。
例えばプライベート。
飲み会で飲みすぎると記憶がほとんどありません。
話したことを覚えていないので次の日は
基本的に毎日死にたくなります。気まずいです。
読書が趣味で家には何百冊もの本があるんですが
ほとんど内容を覚えていません。
正直、ここにある本の内容をしっかり覚えていて
アウトプットできていたら今頃すでに億万長者です。
非常に勿体無いので現在は、改めて1冊1冊読み直し
残り2年間でここにある本を読破(しっかり内容を身につけるの前提)
しようという目標を掲げています。
私は単なる馬鹿なのかもしれません。
多分ADHDです。精神科に行って受診されると色々と
面倒なので受けていないだけです。
(そもそもADHDだと判明したところで何も
変わらないので受ける必要性を感じていないのですが。)
なので本当に大切なことも一言一句しっかりと
覚えていれるような作りではなく、非常に悔しくもどかしいのです。
しかし、これは今に始まったことではないですし、
今更何か策を講じたところですぐに変えられるわけではありません。
こんな自分とこれからも死ぬまで共存しなければいけないのです。
人間は変化の賜物
上記のように私にはたくさんの欠点があります。
しかし、私はニワトリのような特徴がありながらも
確かに人間だということは事実です。
人間は今も生き延びています。
恐竜はすでに絶滅してしまいました。
この人間と恐竜の違いは何か。
「変化に対応できたか否か」だと思います。
人間は雨の日に雨から逃れるために
傘をさすという手段を生み出しました。
晴れの日には帽子を被り、日焼け止を
塗るという手段を生み出しました。
何が言いたいのか。
「人間にはそれぞれ欠点は必ず存在する、
そしてその欠点に対する対策も必ず存在する」
ということです。
私の場合で言うと
■仕事
・ヒアリングした内容を覚えていない
→どんなヒアリング内容だろうと自分の話の持っていき方、商談の流れに合わせる。
その感覚を身につけるために場数の量を徹底的にやり、
失敗や本番の感覚を体に染み込ませることでそこはカバーした。
・やろうとしたことをすぐに忘れてしまう
→そもそも忘れるレベルのことはあまりやる必要がないこと(少なくとも
自分自身の中で優先度は低め)
結果、忘れると言うことはそこまで大事なことではないだろう、
もし本当に大事なことだったらまたいつか思い出すだろう、と
思うことにする。
■プライベート
・飲み会で記憶がなくなる
→記憶がなくならない対策として
最近は事前にチョコラBBなどを飲んだり、
常にメタ認知(今の自分の言動は周りにどう思われているか)
を意識しながら飲んでいる。
そうした結果、やらかすことは前より少なくはなってきた(気はする)
だがしかし、それでもやらかしたり、記憶がなくなることはある。
それはもうしょうがない。
そもそも自分から人を飲みに誘うことなんてほとんどないし、
誘ってきたのは向こうの方。
それなのに私のやらかしを許容できなければ、
全然飲まなくて結構です、てか誘ってないし、スタンス。
・読書
どれだけ真剣に覚えようと思っても
忘れてしまうものは忘れてしまう、
そのため、同じようなジャンルの本なども同時に買うことにより
「あ、これなんかで読んだな」と言う記憶のきっかけを増やす。
結果、本の量だけが増えていった。
ざっとこんなような考え方、対応策になります。
これらの対応策の結果、
今もこうして生きている自分がいます。
そしてこれらは欠点があったが故に出てきた
「自分だけの武器」になり得るのです。
世界は解釈でできている
自分だけの武器というのはいわば強み、長所です。
そもそも誰に対してもプラスになる強みがないように、
マイナスになる欠点などないと思います。
正直者という長所はそれが故に、
「相手に気遣えない」という欠点にもなり得ます。
わがままという欠点が受け取る側によっては
愛情をむき出しにしてくれてる!という長所にだってなり得ます。
要は受け取る側の解釈の違いです。
そうであれば答えは一つ。
自分のしたい解釈を答えにしていくということです。
冒頭私は言いました。
「私はニワトリである!」と。
このように自分のことをニワトリだという風に
認められる人は多くはないと思います。
だからこそ、ニワトリだということを認めることができている
事実を強みに落とし込んでいく。
それがニワトリの要素をもった人間が
普通の人間を超えることができる戦い方です。
今日のきっかけ
ガンジーの有名な言葉にこのような言葉があります。
「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」
日本や世界は昔も今も存在し続けています。
私も現在、存在しています。
しかし、私が死んだら私にとっては
この日本や世界も意味をなしてしまいます。
存在していないのと=になってしまうのです。
つまり、今目の前にある現実は
自分の人生のための構成要素の一つでしかないということです。
世の中の流れや人に合わせて自分を変えるのでなく、
自分に合わせて世の中や人を取り込んでいく。
そんな生き方をたくさんの人ができれば
それこそ「個性」というものが確立していき
みんなが生きやすい世界により近づいていくのではないでしょうか。
「自分の世界を信じる、それが世界を変える一歩になる」
そう信じて今日も一日頑張りましょうー!
コメント
その話のベクトルは誰か?
がたくさん見られてる理由がわかりました。
筆者がアナウンスしているURL(その話のベクトルは誰か?)からいつも入っているためでした。