【当たり前を大切に】

こんにちは、きっかけブログです。

今回のテーマは「当たり前を大切に」です。

私ごとで恐縮なのですが、かれこれもう1週間ほど、

ずっと味覚嗅覚がありません。

正確に言えば、何を食べても、嗅いでもガソリンの臭いのような、

骨折した時に巻いてる包帯の何日かした臭いのような感じが常にしています。

そんな状態が1週間続いて思ったことは

「当たり前にできてたことって、実はとっても幸せだったんだな」

ということです。

今はもう、大好物だった丸亀製麺のとろ玉うどんを食べても

終始ガソリンの味しかしません。

逆に今日の夜ごはんにもやしを焼いたのですが

焼いている途中に仕事の電話がきてしまい目を離してしまったところ

丸焦げになってしまったもやしを食べても、そのとろ玉うどんと同じ味です。

人間として当たり前にある「食の楽しみ」というものを奪われてしまったのです。

「当たり前」が実は一番幸せ

こんな状況になり、もちろん最初は戸惑いましたし焦りもしました。

コロナかな?と思いPCR検査にも行きました。

(結果は陰性でした)

ネットでどう調べても明確な対処法などは分からず不安にもなりました。

今の症状がどんななのか、言葉にできずもどかしいこともあります。

しかし今は不思議と悲しくはありません。

逆に「これだけでよかった」と受け止め体制に入っています。

よくよく考えたら味覚がないということは

何を食べても一緒ということです。

そのことにより「美味しいものを食べたい」という欲が

なくなるので味関係なく、健康なものだけを食べることができます。

結果、お金の節約にもなるし健康にもなりメリットたくさんです。

それに、自分は不快な臭いがするけども

周りの人にはこれは感じないらしいです。(実際に聞きました)

それよりも、今回のこのおかげでどれだけ自分が

身の回りの当たり前を享受できていなかったか思い知らされました。

今回私は味覚と嗅覚だけですけど

世の中にはいろんな障害を持って生きている方がいらっしゃいます。

事故や病気で自由を奪われてしまった方もいらっしゃいます。

様々な都合の関係で住む家や毎日の食事さえ

ままならない方も世の中にはたくさんいらっしゃいます。

そんな方がたくさんいらっしゃるというのはもちろん知っています。

しかし「その人たちがどれだけ辛くて、怖いのか」というのは

想像できていませんでした。というよりできませんでした。

実際、今の私の現状の味覚嗅覚がなくなってしまったごときで

そんな方達と比べるのは大変おこがましいことだというのは理解しています。

ただ、自分が感じている当たり前が、当たり前じゃなくなる瞬間に遭遇したとき

初めて「当たり前」が恋しくなりました。

友人や家族とお祝いの時にお寿司を美味しく味わっていたのが

もうできないかもしれません。

「今日だけは」と背徳感を感じながら食べるあの二郎ラーメンを

味わうことはもうないかもしれません。

ワインもろくに知らないのに「この白ワイン美味しいね!」

とドヤ顔して味わうことももうできないかもしれません。

そんな味覚や嗅覚の当たり前を失ったことにより、

改めて「今ある当たり前を大切にしよう」と思うことができました。

今日のきっかけ

これは何も身体的なことだけに言えることではありません。

今当たり前にいてくれる家族や友人

今当たり前のように働けてる会社、そこから振り込まれる給料

当たり前のように感じている喜怒哀楽の感情

生きていく上で非常に大切なこれらの当たり前が

突然なくなってしまう可能性は大いにあります。

それは自分の失態のせいかもしれませんし、

外的要因のせいかもしれません。

でもそれはいつか必ず起こります。

なぜなら人は必ず死んでしまうから。

その事実は変えることはできません。

しかし、それでも変えられることがあるとするのなら、

それは今あるこの当たり前を噛み締めて、

日々感謝して生きることなのではないでしょうか。

そんな綺麗事を言っても忙殺する日々の中、

意識するのすら忘れてしまうこともあるかもしれません。

日々忙しく生きる中で「時間がない!」と

吉野家の牛丼をかき込むこともあるかもしれません。

そんなとき、ふと思い出してみてください。

「あ、こんな美味しい牛丼をガソリンの味にしか

感じられないやつもいるんだな」と。

それだけで今目の前にある幸せに気づくことができるかもしれません。

今日もブログを読んでくれて、ありがとうございます!

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