こんにちは、きっかけブログです。
本日はテーマの通り、「保身のための見栄っ張り」というお話をしていければと思います。
私事で大変恐縮なのですがテーマの通り、
自分自身が「保身」のために見栄を張ってしまっているなと
思ってしまったことについてのお話です。
保身のための見栄っ張り
今回のテーマの通り、私自身が自覚したこととして
「できるように見られたい」という気持ちが
すごく出てしまったな〜ということに気付かされました。
きっかけの出来事として、
本日上司との営業ロールプレイングを
やった結果、非常にうまく話せなかったのです。
その時、チームリーダーに「○○もこんな人間身あることあるんだ」
と言われてしまい、非常に恥ずかしい気持ちを感じてしまいました。
というのもそのチームリーダーのことを私自身、非常に尊敬していて
人としてすごい素敵だな、好きだな気持ちがあったので
「できないと思われたくない」
「やっぱ○○はさすがだな」
と思われていたいという、非常にビジネスマンとしてダサく、
自分の保身しか考えていない思考をしてしまったのです。
このように思ってしまった要因としては
・組織の中「だけ」で言えば良い評価されてしまい、
それをあたかも自分の実力と勘違いしてしまっている節があった
・評価をされていることに安心、安堵してしまっている気持ちが
あるが故に、自分の足りていないところを直視することを怠っていた
・そもそも「評価」=「実力」という風に勘違いを起こしてしまっていた
ということが挙げられます。
正直なことを言えば、
私自身も組織内で評価をされたからといって、それに甘んじることなく
私は私の目標に向かって頑張っているつもりでした。
だからこそ、瞬間風速的な評価など意味はないと思っていましたし、
将来につながるようなスキルや知識を得るためだけに注力しているつもりです。
しかし、組織に属していて、その中で評価されることにより、
どこか「その評価通り、それ以上に自分を常に保っていなければ」
という想いが自然と芽生えてきてしまったのであります。
もちろん、今後私が成し遂げたいことを考える上で
そのような立場として周りを引っ張れるような人間に
ならなければいけないというのは必須になってきます。
だからこそ、「今から」という意味でそう言った視点を持つのは
大切だと思う一方で、
逆に今だからこそ、できていない部分を徹底的に直視して
改善していくことが大切になる時期でもあるとも思っています。
そんな、自分自身の成長しなければいけばい大切な時期に
プライドや見栄が邪魔して体裁だけをカッコつけにいくのは
本末転倒だなと、つくづく感じています。。。
今できる失敗や、捨てておくべきプライド、見栄は
「一番若い」今、捨てておき、将来、自分が実際に
そう言った立場として責任を持った際に、
堂々と実力を発揮できるように基盤を作っておかなければ、
今以上に恥をかくのは未来の自分です。
今日のきっかけ
今回の経験を通じて、今してしまう失敗や恥を放置してしまえばするほど
未来の自分や、周りの人が余計に恥ずかしい思いをしてしまったり困ってしまうな
と改めて実感しました。
私自身が今できていないこと、わからないことはまだまだたくさんあるので
それを恥ずかしいなど思わず、愚直に、素直に学ぶ姿勢が大事だなと思います。
結局は、どこまでいっても学ぶことがあり続ける人生の中で
いかに「素直さ」「謙虚さ」を忘れずに過ごすことができるかどうかが
成長する人とそうでない人の別れ目の一つなのかもしれないなと、
偉そうながら思ってしまいました。
本日もブログを読んでいただき、ありがとうございます!
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